八月十七日(木)
出発の日は夏の空のきれいな日で
さながら3D画像のごとく高い空を雲が流れていた。
子供三人揃って連れての帰省は四年ぶり。
81の父を喜ばせるべく、いざ福島へ。
一つ早いヨーデルに乗ったので、
盛岡で一時間半の時間ができて、旅気分。
もちろん、「もりおかわんこ」へご挨拶。
待ち時間は駅ビルで買い物。
サンダルなど、調達したりして駅ビル内での散策もあっという間に過ぎる。
「はやて」で仙台へ、乗り換えて福島、というコースは現在の最短で、
これだと弘前福島間、四時間切る。
行きは盛岡でのお買い物タイムをとったが、帰りはほぼ接続時間最短で、
郷里も随分、近くなった気がした。
盛岡から一時間二十分ほどで福島着。
二年前、末っ子が小六の時に、詠んだ句を思い出す。(笑)
「福島に行った時にはおじいちゃん、駅に見かけるじんべい姿」
が、今回は普通にポロシャツ姿…。
少し痩せたが、変わっていない元気な姿に安心する。
再会の瞬間はいつも感激。
実家に着いて、
母の仏壇にお線香をあげ、帰省の報告。
父の庭も家の中も
相変わらず父らしい暮らしぶりでいたるところ工夫されていて面白い。
四年前に母に死なれ時は心配したが、
元気に一人で暮らしている。
父は十四の歳に、一人東京へ上京した。
十四、って歳を、あらためて思う時、やっぱり胸に来るものがある。
当時、最先端だった車のことを勉強したくて上京した。
上京してすぐに頼った親戚の家がだめになってしまって、
少年の父は大変苦労したらしい。
気力も気骨も智恵も、たぶん、私達の世代とははんぱなく違うのだろう。
時代も、戦争、敗戦を潜り抜けて生き残ってきた父。
そして、父にはいつもユーモアがある。
いたるところ、父の手作りの家のあちらこちらにも思わず微笑む遊びがある。
茶の間に繋がっている縁側にあがる台も手作り。
縁側の隙間にもちゃんと収納するところを作っている。
私が子供の頃に父が自分で建てた離れ
脇には小さな表札もかかっている。
父のいつも坐る場所は、百円ショップのものを有効に使って
使いやすく工夫されている。
どこかから見つけてきたらしい飛行機型の風向形。
今はなぜか家の中に。
何年も前から、河原でみつけてきたりした石をおき、竹などを工夫してあしらっている。
庭一面に敷かれている石畳も父がひとつひとつ敷き詰めたもの。
物作りのための小道具もいろいろ。
収納の棚はほとんど父の手作り。
庭の椅子やテーブルも。
蝉がうるさいくらいに鳴いて、
夜には、蛙も出迎えてくれた。
故郷の夏。