九月二十二日(金)
五時を過ぎた頃から少しずつ明るくなってくる。
「まだまだ、朝は早くに明けてくれる」って思って少しほっとする。
日が短くなってくると自分の朝も短くなる…。
昨日、
真中の高二生を下校途中に迎えにいって、
そのまんま紀伊国屋へ。
アマゾンで観ていて、注文しようと思っていた本があったので購入していたのを、
朝、読み始める。
池澤夏樹さんの
「パレオマニア」。
古代妄想狂、というような意味らしい。
副題は、大英博物館からの13の旅…。
面白い。
大人のファンタジーそして、久しぶりに好奇心がわいてくる。
今思えば、
子供の頃に出会った物語とか絵とか映画とか音楽が
自分の頭の世界に取り込まれたそれらの世界の大きさみたいなものを
思うとき、
大人になってから取り込まれたものはその持つ力が違うと思う。
子供の頃に持っていた、その世界の中に入っていける力はやっぱりすごかった
と思うなあ。
それらを見失う日々…。
昔、子供の頃に、自分の家に
岩波の世界少年少女文学全集が全部で五十巻あった。
父が確か、それらを置く本棚も作ってくれて、
毎月その棚に本が増えていったように思う。
子供にとってその本は大きくて重かったけれども、
それを開いて茶の間に寝転がったりして読んでいた。
ほとんどを読んでいたと思うんだけれど、
確か、その第一巻が、
「ギリシア神話とオデッセウス」だったと思う。
(あれ、第一巻は「古事記、日本書紀」だったかしら?)
子供の頃は本屋に行って本を買うなんてことをしたことがないし、
せいぜい、「少女フレンド」とか「マーガレット」とかの漫画週刊誌とか月間誌だった。
それももちろん、ものすごく大好きだったけど…。
「ギリシア神話」は大好きで何度も何度も読んだ。
オリンポスに住むギリシアの神々は人間的で、嫉妬やけんかもするし、
いろんな恋もして、その色恋沙汰を面白おかしく読んだ。
自己愛の強いナルシスとか、神様に愛されているのその神様がきらいで
逃げて逃げてとうとう桑の木になってしまった娘の話とか、
大熊座子熊座になった母子の話とか…。
自己主張とかわがままとかもそのまま存在するギリシア神話の世界が
どうして自分は好きだったんだろう。
太陽の神のアポロンとか、大神ゼウス、その妻のヘラ、
美の女神アフロディーテ、戦の女神のアテネ、とか、
ヒアシンスの花は美少年のヒアキントスが神様に変えられた花だとか…。
とてもとてもたくさんの神々の世界の物語を子供の自分は楽しんだと思う。
世界はものすごく面白く見えていた。
その他に、好きだった物語は、「飛ぶ教室」とか
「十五少年漂流記」とか
「王子とこじき」、「ああ無情」、「幸福の王子」、
あと、「青い鳥」とか…。
そして、「ドリトル先生航海記」も。
時代を超えて残ってきた物語はやっぱりいいものばかりだったと思う。
今も子供達には、
「ハリーポッター」のシリーズとかあるし、
それもそれでもちろん私自身も大好きなんだけど…。
子供の頃にたくさんのたくさんの名作と言われるものを読んだことは
やっぱり自分の宝物だと思う。
それを何気においておいた、お父ちゃんがえらかったと思う。