10月11日(火)
三連休も終わり、夫は仕事、子供達は学校に送り出し、
庭の紫蘇の実と残っていた枝豆をそろそろ
収穫しきってしまわないとまずいなあ、と気になっていたので、
一気に収穫を決意。
始め根っこごと全部抜いてしまって、
枝豆を取りはずしていく。
はずした枝豆は洗って、生のまま冷凍しておき、
凍ったまま、塩を多めに入れた熱湯で茹で上げれば、
風味もその割に失われずに、食べることができる。
6回分ほど、冷凍。
天気もこの上なくよい秋晴れだし、
土をいじるとなんとなく気持ちが良い。
紫蘇も取りきってしまうつもりだったが、
けっこうたくさんあって、半分残す。
が、庭の一角が空っとなって、
気持ちがよくも少しさみしい。
冬が来る予感、という感じ…。
収穫した紫蘇の実は細長く切った出し昆布と一緒に、
つくだ煮に。
私と夫’母しか食べないが、
ご飯にとても合う惣菜なのだ。
10月12日(水)
梨を作っている福島の叔母が、
「世紀」を送ってくれる。
この梨は「20世紀」と言う名称の梨なんだけど、
21世紀になったので、きっと「世紀」になったんだろうなあ…
って、なんとなく笑える。
今年の梨は甘くて水々しくて、例年以上に美味しい。
父の妹である叔母であるが、
当たり前だけど、父と似ていて、
そして、私が小4の頃に亡くなったおばあちゃんに似ている。
このおばあちゃんは隣に本家と言われていた父の兄一家と住んでいた。
あまり話をしたことがなかったのだけれども、
その顔がちょっとアイヌの人に似ている気がずーっとしていて、
その顔をなぜかものすごく覚えていて、
すごく好きだなあと思っていた。
おばあちゃんの息子夫婦は日中農家の仕事にいそがしい中、
一人残って家のことをやっていたんだろうなあ。
日本手拭を姉さんかぶりにして、
庭にあったお茶の葉を摘んでいた姿なんかを覚えている。
あと、びわの実がなると、かごに入れて持ってきてくれたこと、とか。
小柄な姿と黒く濃い瞳を忘れないでいる自分が不思議だ。
癌だから、と確か聞かされていたが、あっという間に逝ってしまった気がする。
病院にも一度だけ父に連れられてお見舞いに行ったが、
その時のおばあちゃんはもう微笑む元気もなく
ただベッドに横たわっていて、子供心にも
おばあちゃんは死ぬんだなあとわかった。
父はお別れに連れて行ったんだな。
お葬式はお隣のおばあちゃんの自宅でやって、親戚とか従姉妹達とかがたくさん
集まって、子供心に悲しいながらもどこかイベントみたいだった。
棺に入ったおばあちゃんと最後の別れをした瞬間も覚えている。
祖母の味というものをあまり知らずにいた気がするが、
それでも、私には私だけの祖母がいた、という気が今あらためてするのは、
あの祖母の何とも言えない深い顔立ちなんだろうなあと思う。
声はいくら思い出そうとしても思い出せない。
私にも、父がいて母がいて、祖母がいて祖父がいた。
当たり前のことは、なんだか優しい。
10月13日(木)
今日もとてもいい天気。
半分残した紫蘇を全てとる。
庭が本当にすっきりした。
紫蘇のみもとって、
毎年もらっていただく夫’s父の知人に持っていく。
いろいろとさっぱりする。
10月14日(金)
3、4日、部屋のかたずけをまじめにやっていなかったら、
また、ちらかってしまって…。
午前中は掃除。
すっきりとして気持ち良し。
一気にお昼に買い物にいって、
いくら作り。サンマのつみれを作ったり…。
真面目にやると家事は数限りなくある。
掃除をしても次の日にはまたちらかるし、
美味しいものの食べればなくなる。
きれいな部屋は気持ちが良く、
美味しいものは満足感があるも、
一日休みなく動いていると、流石にのびる…。
夜はいつもばたっと寝てしまう。
10月15日(土)
上二人の子、出校。
末っ子の中一生が週明けに三期テスト、にて。
少々勉強をみることに。
なかなか手強い!
が、格闘しつつ、いろいろと一緒に勉強したら、
とても面白くてなんとなく充実した一日だったなあと
感じる、親ばかな母の私。
明日も、見てろ、とほくそえむ。
まじめな話、
部活のせいにするのではないが、
落ちている学力に内心びっくりしつつ、
今ならまだ大丈夫と子供を叱咤激励しつつ(しているつもりでありつつ)
それでも、やっているうちにわかってくると、
子供の顔が違ってくるから、面白いなあと思う。
やればできるんだすよ~。
やれば…。
エイエイオー!