12月8日(木)
今日はジョンレノンの命日とラジオで言ってた。
日本時間では9日になるが…。
そうだった。
25年というと四半世紀だ。
「ジョンが死んだ」っていうことを聞いたのは、
仙台のヤマハのスタジオでだった。
ポプコン東北大会へ向けての録音をしていて、
ヤマハのその時自分の参加曲を担当してくれたディレクターの方が、
「ジョンが死んだ。撃たれたんだ!」って非通な顔をして言っていた。
なんせ、皆その場にいたのが、
ビートルズに本当に影響を受けた人達であったので、
そこにいた人達はみんな何ともいえない顔をしていたのを覚えている。
私もびっくりしてそれがどういうことかよくわからなかった。
やがて「どうして誰に?」なんて考えても
ジョンが生きて帰ってくることはないということを知った。
それから四半世紀の時が経ち、
結婚して子育てをして、という間はほとんど
ビートルズもジョンレノンも聴くことがなかった。
封印された宝物のように…。
ジョンの停止してしまった年齢をずっと越してしまった。
PCでジョンレノンの映像やCDを聴くようになった。
それらはまったく色褪せていなかったし、
深く深く心の奥を揺り動かす。
あの声、フレーズ、生き方、あの顔…すべて。
そして、今日は太平洋戦争がはじまった日。
12月9日(金)
雪は降っていないけれど、
朝の冷え込みの厳しさ。
車が凍っている。
今日は参観日があった。
中一生の今年二度目の参観日。
子供によって心配なことが違うが、
末っ子は明るく対処できるところがあるので、
どちらかというと心配事がなく軽い気持ちで参加した。
担任の話は最近のクラスを初め、学校の良くない状況についてであった。
他の子のことで、何度か大変な出来事があったりもしたのだそうだ。
うちの子の一年生のクラスの授業もおしゃべりしてうるさかったりするし、
あれではきちんと授業を聞くことはできないな。
落ち着きがなくて、
先生の話もクラスメートの発表も聞こえない。
他のお母さんも上の中学生もいるらしく、
2、3年生においてはもっとひどい状況を語ってくれた。
今までも下校した子供の話を聞きながら、
それなりにそういう状況について胸をいためていたり、
いろいろと考えているんだなあ、
そういう感じだったら、大丈夫だよなあ、とか思ったことはたくさんある。
子供も、どうすればそういう状況を良い方向にもっていけるのか
わかってはいないが、それを心にずっとかけているのだなあと
思った。
けっしていいとは思っていないし、
たとえば、誰かがいじわるをされている状況があったとしたら、
それについて心を痛めていて、
どうしてそういうことになるんだろうなあって悩んでいる様子であった。
そういうことを教師は知っているだろうか?
担任の話を聞いていると、
実は、この教師もどうすればそういう状況を解消できるのか
わかっていないのだなあ、と思った。
私もわからないし、子供もわからない。
わからない、ということが本当のところなのではないだろうか?
わからないってことに
きっともっと謙虚にならないとだめなんじゃないかなあ。
なぜ、子供がそうなるのか、
心配な状況を皆がそれぞれの立場で心配していて、
子供もいろいろな気持ちをかかえている。
だが、
やっぱり、一方的に話続ける教師の態度からは
強圧的なものを感じてしまう。
子供は自分の感じていることをどうやって
教師に伝えることができるかなあ、と心配になる。
話をちゃんと聞いてくれることはあまり期待出来ないんじゃないか…って。
だが、またそういう状況に子供のほうでも慣れっこになってもいるのだし、
心配してもなかなかそれをどうすることもできにくいものだ。
子供のほうがいろいろわかってることだってあるんだよ、と
言いたくなるが、しかたがない…。
そういう状況が子供一人一人に与える影響は個々で違うと思う。
打ちのめされる子だっていると思う。
強い子もいるだろうけれど…。
子供もたぶん、そういうものを感じるのだと思う。
そういうものを壁と感じでしまうことは実に多いんじゃないかなあ?って
いつも中学校に行くと感じてしまう。
ここであれこれ言っていてもしかたがないけれど、
中学校っていう社会をもっとシステムとして考えないと、
なかなか解決していかないだろうなあと思う。
学力の低下していく子供達を救うことができなくなっていって、
実は、そのことで悩んでいるお母さんも世の中にたくさんいる。
教師は本当に万能ではないのだから、
個々の力だけではどうにもできないことがきっと多いのだ。
実際、心の余裕のなくしてしまっている先生が実に実に多い。
そのことと強圧的になってしまうことはけっして関係がないことではないのだと思うのだけれど…。
中学校の参観日には、いつもいろいろとつらいものを感じてしまう。
思春期の子供ってむずかしいし、
不登校、暴力的、学力の低下、
中学校のかかえる問題はあまりにも深い。
12,13,14,15歳、自分はどんなだったろう…。