一月二十四日(火)
朝起きると、また大雪。
今年一番かもしれない。
みちっと積もっている。
車のところへ行くのも、ゴミを出しに行くのにも、一掻き一雪掻き一掻き雪掻き…。
ふぅ~。
それでも、見あげた空は青い空で、なんとなく春っぽい。
日差しが少しずつ変化して、春は着実に近づいているんだなあ…。
日中、
衣類の整理。
かねてより気になっているところで、
全部出してはあっちこっち、と整理していく。
一仕事終えてコーヒータイム。
たまに違ったコーヒーカップを、と思い、
食器棚をみてみると、奥のほうにひさしぶりに見つけたコーヒーカップ。
なつかし~。
これは、若い頃いつもたむろしていたジャズ喫茶店「ネガ」のコーヒーカップ。
お店にいて、私の誕生日の時に、
会話をしているうちに、いただけることになったんだっけなあ~。
ジャズ喫茶に通った時代は自分には一番楽しかった。
たくさんたくさん音楽を聴き、映画を観て、演劇をみて、コンサートに行った時代。
心の振幅の幅があんなにゆれた時代はなかったと思う。
心の世界は無限大に広く、泣いたり笑ったりしていた。
世界と交流できた時代。
表現することって大変だけれども、ものすごく考えた時代。
違う自分とも出会った若い時。
自分で自分を処理できなくて、苦しかったりもしたけれども、
その時代があったことがやっぱり自分には宝物。
出逢った人々は今どうしているんだろう。
振り返ってみると、顔から火がでるほど馬鹿な自分でもあったのに、
ちゃんと節度を持って接してくれたし、
変なことに巻き込まれることなんてなかった。
信頼できるいい人達が多かった。
なんか自分というのはものすごくゆれの激しい人間だったし、
やっぱり、何かを求めたり探したりしていた。
そうして冒険したい時代に親のことを思うと、
やっぱり話ができなくて、
自分の心のゆれを受け止めてはくれないように思っていた。
親の願う幸せと自分の冒険したい気持ちとは
いつもずれていたような気がする。
冒険も必要だし、失敗もあっていいのだ、と
コーヒーカップは語ってくれる気がする。
自分の子供はまた、自分とは違う性格のようだ。
明るくて周りをいつも楽しくさせる子供であるが、
いつもいつも元気でいる必要なない。
考えてるんだなあ。
答えなんて後から振り返ってみないとわからないことばかりだ。
夕方、
嬉しいプレゼントをいただく。
暮に作った
「煮鱠」、一年にたった一度だけ作る大仕事っていうか暮の定番であるが、
毎年、お隣に持って行く。
ものすごく感激して喜んでくださるので、
つい私もそれだけで嬉しくてもっていくのだが、
お返しに、とわざわざ取り寄せてくださったという
「パストラムビーフ」をいただく。
わ~、ユダヤ風のゴージャスなハムだって。
実は去年もいただいたて、
ものすごく嬉しかったんだけど、今年はさらに嬉しい気がする。
きっと、
やっと、この「煮鱠」が自分的に満足できるものが今回はできたからなんだと思う。
なんだか、自分の仕事を誉められた気がしたのだと思う。
ぴりっと辛くて、美味い。